払田柵 (秋田県大仙市)
2017/09/17 いやいや旅は本当に面白く、楽しいものです。常に未知との遭遇で、出合った時の感動は先ず自己満足、そして人に伝えたい衝動に駆られます。 それは横手城より角館武家屋敷に向かう途中の事です。 今回は城郭ファイラーではご存知の城跡とは異なり、遺跡に近い古代の城柵「払田柵跡」(ほったのさく跡)を発見しました。 国の史跡に指定されているそうです。 しかし、文献資料にその名がないため、「幻の柵」とも呼ばれています。 日本における木簡(短冊状の細長い木の板)研究の嚆矢(こうしと読みますが、鏑矢の事で戦の始まりに放つ音の出る矢の意味です)となった遺跡としても知られています。 「歴史」平安時代の初めころ(約1,200年前)、律令国家(律令が統治の基本とした国家)がこの地方の統一を進めるために造った政治的軍事的拠点として、また儀式の場としての役割を持っていたと考えられています。 外柵(がいさく)と呼ばれる、角材(高さ3.6m、縦・横30cm)を並べた材木塀は総延長約3.6km、遺跡の総面積は約87.8㏊にもなる広大な遺跡です。 創建に使われた角材は、年輪の研究から延暦20年(801)ころの伐採と判明し、この遺跡はほぼその頃に創建されたものと考えられています。 見どころ 外柵南門 史料館 夏の平安行列 冬のかまくら
見どころ 外柵南門 史料館 夏の平安行列 冬のかまくら
アクセス JR「大曲駅」よりバス約25分。 秋田自動車道「大曲IC」「大曲西道路和合IC」より国道13号を経由して秋田県道50号大曲田沢湖線を東へ約7km
所在地  秋田県大仙市払田 仙北郡美郷町本堂城廻

亀田陣屋跡 (秋田県由利本荘市)
2017/09/18 台風18号が近づいているにも関わらず、秋田県の旅は続きます。 昨夜は確かに嵐のような雨風でした。台風なので「嵐のような」と言う比喩はおかしいかもしれませんが、いずれにしても道の駅にある「は~とぽ~と大内ぽぽろっこ」という長いネーミングの宿泊地は、館内レストランの食事はとても美味しく、また日本海に近いせいか海の幸などの値段もすこぶるリーズナブルで有り難く、とても寛げる空間でした。 目覚めた頃には台風は北海道に過ぎ去り、雨もほぼ上がり風は幾分強い程度で、幸運に恵まれまれたようです。 最初の訪問先の宿泊地の由利本荘市北方の亀田地区にある「亀田陣屋」に向かいます。 到着したのは午前8時40分。 台風の影響でしょうか観光客は誰もいません。 現在亀田陣屋跡(亀田城)は佐藤八十八美術館の敷地となっています。 と書きましたが、史跡としての陣屋跡はここではなく、隣の旧亀田小学校の敷地あたりだった事が帰宅後の調べでわかりました。 [沿革]亀田陣屋(亀田城)は江戸時代に亀田藩の藩庁として利用された陣屋です。 元和8年(1622)に山形藩主の最上氏が改易され由利郡は本多正純の所領となりましたが、その正純も翌年改易となったため由利郡は「亀田藩」「本荘藩」「仁賀保藩」「矢島藩」に分割され、亀田藩には岩城修理大夫吉隆(佐竹義隆)が入りました。 当時は城を持つ事が許可されず、吉隆はかつての赤尾津氏の居城「赤尾津城」の麓に、陣屋を築き、以降代々岩城氏が藩主をつとめました。 幕末の八代当主「岩城隆喜」の代で城主格大名となり城を持つ事が許可されましたが、財政難の為城は建築されず陣屋は亀田城と呼ばれるようになりましたが、戊辰戦争で焼失しました。 この亀田地区の「亀田陣屋」及び「天鷺城」についての情報収集に、「由利本荘市観光協会 観光文化振興課」の工藤様には大変お世話になり、この場を通しお礼申し上げます。 ありがとう御座いました。
見どころ 亀田城佐藤八十八美術館 ワイン城
アクセス JR羽越本線・羽後亀田駅からバスに乗り「亀田大町」バス停下車、徒歩10分。 日本海東北自動車道・松ヶ崎亀田ICから5分
所在地  秋田県由利本荘市岩城亀田町
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角館武家屋敷 (秋田県仙北市)
2017/09/17突然の出会いの「払田柵跡」を後にし、いよいよ仙北市角館にある「角館武家屋敷」です。 よく旅行ガイド等で紹介されていて、私には非常にインパクトがあった場所であり、一度は行ってみたいと思っていました。 今回は既に行った事のあると言う友人に無理を云いつつの同行です。 四季によって景観の好みが分かれますが、桜や紅葉の季節はかなりの人ごみが想像されますが、台風接近などの影響もあって閑散期の屋敷街並みは寧ろ落ち着いた風情で、この時期もありだったかなと思います。 キャッチフレーズは「古色豊かで静かな佇まい」は共感できますが、地方の街並みでよく言われる「みちのくの小京都」と称されているのは、如何なものでしょうか。 寺社仏閣の京都に比べ殆どが武家屋敷と対照的ですし、景観も京都の町とはかなり異なったものと思えます。 強いて言えば歴史を感じる点でしょうか、まぁ深く考えずに楽しみましょう。 日本の100選としてもいろいろ多く選定されています。 例えば「日本の道・日本さくら名所・日本街路樹」などです。 「歴史」角館町の城下町形成は、天正16年(1590)に戸沢氏が角館城を築城して城主になったことに始まります。 その後戸沢氏に代わって秋田藩主佐竹義宣の実弟である蘆名義勝(あしなよしひろ)が統治しましたが、河川の氾濫など地の不利から元和6年(1620)に古城山の南側に新しい城下町を形成する様になりました。 明暦2年(1656)に蘆名氏断絶後、佐竹氏一族の佐竹義隣(さたけよしちか)が支配し、廃藩になるまで200年間一族が統治しました。
見どころ 武家屋敷巡り 美術館・資料館
アクセス JR東日本秋田新幹線 田沢湖線/秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線「角館駅」から徒歩約15分。  秋田自動車道「大曲IC」から国道105号線で約30分
所在地  秋田県仙北市角館
角館の武家屋敷の建ち並ぶ街並み 秋田県市仙北市角館
出羽松山城跡 (山形県酒田市)
2017/09/18 由利本荘から日本海沿いに南下して、目標は酒田市の松山城に向います。 国道7号線を走りながら右手に日本海、左手には鳥海山と、こんな機会ひょっとしたら二度とないかもしれません。 見納めと云うと寂しですが、これからも一期一会の旅は続きます。 いよいよ酒田に着きます。 所要時間3時間超と台風の吹き返しの中、友人は黙々と運転に専念、お疲れ様です。 出羽松山城跡は松山歴史公園内にあり、時代を帯びた大手門が威容を誇って私たちを迎えてくれました。 [歴史]庄内藩2代藩主酒井忠当より領内の飽海郡(あくみ郡)中山村を、庄内藩の支藩として初代松山藩藩主酒井忠恒に分与され、中山陣屋が構えられました。 後に中山を松山と改め松山陣屋なります。 そして松山城は天明元年(1781)に松山藩3代藩主酒井忠休によって築城が始められ、それまでの中山陣屋より移り、7年の歳月をかけて完成したようです。 宝暦10年(1760)に、忠休は西の丸若年寄となり5千石加増され格式も城主になりました。 戊辰戦争では、宗家の鶴岡藩と行動を共にして奥羽越列藩同盟に加わり、官軍と戦うこととなります。 廃藩後大手門を除き、建物は取り壊されました。
見どころ 大手門 松山城址館 酒田市松山文化伝承館
アクセス JR酒田駅より車で約30分。 バスで約40分。 JR余目駅から車で約10分。 日本海東北自動車道「酒田IC」より約30分。
所在地  山形県酒田市字新屋敷34~36
天鷺城跡 (秋田県由利本荘市)
2017/09/18 亀田城(亀田陣屋)の後は天鷺城訪問です。 「亀田陣屋」の項目でも述べ後に分かった事ですが、実はこの地(現亀田地区)は数回変名があり、同時に城も移り変わりました。 亀田藩が置かれる前の奈良時代~平安時代には天鷺の地とされ、室町時代には赤尾津と変名され、そして亀田藩が置かれると亀田と名前が移り変わったのです。 そして実は亀田城跡と思っていた場所の亀田城佐藤八十八美術館は史跡ではなく、この美術館の西隣あたり旧亀田小学校のあったあたりだったようです。 そして天鷺城跡とこの亀田城跡(亀田陣屋)は同じだと思っていたのですが、実は違いこの陣屋跡から南東方向、つまり現亀田城八十八美術館の後方にある高城山にあったようです。 結果として、私たちは史跡としての亀田城跡(亀田陣屋跡)と天鷺城跡は厳密に言うと訪問していなかった事になります。 [歴史]古く西暦八百年頃、天鷺速男という豪族が天鷺山に居を構え近郷を統治していましたが、 坂上田村麻呂と戦って亡んだと伝えられています。 室町時代頃になると赤尾津氏が治めるようになると赤尾津城となりますが、その後廃城となりますが山の上にあることから今は高城城と呼ばれるようになっています。 また関ヶ原合戦の後、現由利本荘地域は最上義光の所領となります。 家臣の湯沢豊前守満茂が1603年に赤尾津(現亀田)の地に入り、赤尾津城(天鷺城)を居城と定め赤尾津満茂と名乗り、由利本荘地方の殆どを支配していましたが、1610年に居城を旧本荘市に移し、本荘満茂と改名して統治を続けました。 その後、岩城氏は赤尾津城(天鷺城)を破棄し、麓に陣屋を築きました。 これが亀田城(亀田陣屋)となります。 天鷺城模擬天守は亀田藩を現代によみがえらせたもので、また史跡保存伝承の里「天鷺村」は 遠い天鷺城時代の歴史に因み命名されたものです。 よって現実的な史跡とは異なるもののようです。 また、亀田城佐藤八十八美術館の後方の山の頂に見える天守がありますが、確かに赤尾津城(天鷺城)のあった山ではありますが、これもまた現在のワイン城であり史跡の赤尾津城(天鷺城)ではありません。 [豆知識]まさか東北に六文銭に再会するとは思いませんでした。 それと言うのは佐竹義宣の弟宣家に嫁いだのが、真田信繁(真田幸村)の五女「顕性院殿」(御田の方、御田姫)だからです。 佐竹宣家(岩城宣隆)は亀田藩主となり顕性院と共にこの亀田来ると、その妻「顕性院」は京にいる弟「幸信」を亀田城下に呼び寄せ真田家再興に尽力し、真田家14代まで続きました。 勿論、亀田藩の繁栄にも貢献しました。
見どころ 天鷺城資料館 天鷺村 妙慶寺(顕性院史蹟)ワイン城
アクセス 羽後亀田駅からバスで8分
所在地  秋田県由利本荘市亀田天鷺村内

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城輪柵 (山形市酒田市)
2017/09/18 酒田市で昨年も友人と城を求め、手探りで発見した城跡「砂越城跡」がありますが、まさかこんなに近い所に別の史跡があるとは思いもよりませんでした。 それは目的があって「出羽松山城」を探している時の事です。 「城輪柵」と言う標識を目にしたのです。 この旅の始まりに秋田県の横手城より角館武家屋敷に向かう途中に同じような「払田柵」と言う標識を発見したからです。 きっと同様史跡だと思い、行ってみる事にしました。 勿論、史跡の背景を包括的に捉えて、時間と余裕があれば見落とすことはないのでしょう。 それに私は思いつきで行動することがしばしばあるので、そう思えばデジャブのような出来事なのかもしれません。 [概要]城輪柵は平安時代の遺跡で、出羽国府の政庁跡と考えられています。奈良時代末期に秋田城(出羽柵)から移設された出羽国府跡の最有力地と考えられており、「城輪柵跡」として国史跡に指定されています。 現在は「城輪史跡公園」として整備されており、政庁南門、東門および築地塀の一部が実物大に復元されています。 また毎年8月に、篝火(かがりび)の下で民俗芸能「国府の火まつり」が演じられています。 因みに秋田県の払田柵よりも歴史が古いと思われます。
見どころ 復元(政庁南門 東門 築地塀の一部)
アクセス JR酒田駅から車で15分 JR酒田駅よりバス約20分(庄内交通バス「門屋(かどや)」下車)徒歩約10分。  日本海東北自動車道「酒田みなとI.C」から車で約5分
所在地  山形県酒田市城輪地内(本楯地区)
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画像の見方
宮森城跡 (福島県二本松市)
2017/09/19 二本松市の小浜城跡にあった城郭案内版の中に「宮森城」と言う城の場所が記されていました。早速行くことにします。 「小浜城跡」より南に7~8分走ると道路から山道に入る脇に案内板があり小浜川に沿って北に突き出した急勾配の道を上がった丘陵にありました。 石畳を登ってみると一見武家屋敷のような小さい門、更に進むと狛犬が私たちを迎えてくれました。 城内というより此処は神社の境内のようです。 そして宮本家祖大内氏城跡の石碑が、その鳥居と摂社の傍らにありました。 [歴史] 「宮森城」は、応永3年に宇都宮氏広によって築かれ、文明3年には「四本松城」(しおのまつ城、小浜城跡より北東にやく1.5Km)の城主石橋氏の重臣大河内修理が修築しました。 戦国時代に主家石橋氏を凌ぐ勢力へと成長した小浜城主大内義綱は、天正8年に主家と大河内氏を倒した後に「宮森城」へと居城を移し、塩松一円(現二本松市小浜一帯)を領しました。 天正13年大内定綱を破り、塩松領を手に入れた伊達政宗は小浜城に、そして父輝宗が宮森城に入り「二本松城」城主畠山義継と対峙しました。 畠山義継の伊達臣従で和議と為りますが、この礼に訪れた義継に伊達輝宗が拉致されたため、阿武隈川河畔にて輝宗は義継共々政宗が放つ銃弾に斃れる事件が起きました。 「宮森城」は、その後天正19年の秀吉による奥州仕置きの結果、会津蒲生氏郷の所領となりました。 そして江戸時代の寛永20年には二本松城主丹羽氏の所領となり城代が置かれましたが、やがて廃城となります。
見どころ 武家門 狛犬 景観
アクセス JR東北本線「二本松駅」よりバスに乗り「小浜」バス停下車、徒歩約30分。 東北自動車道「二本松IC」より車で約30分
所在地  福島県二本松市小浜上館
小浜城跡 (福島県二本松市)
2017/09/19 晴天に恵まれ、気持ち良い朝を迎えてコンビニのイートインでコーヒーの香りに包まれます。 都会とは違い何かいい気分でのんびりします。 今日は友人(福島県二本松在住)が日頃から気になっている所に同行します。 場所は二本松市内にある「小浜城」(旧安達郡岩代町小浜)です。 現在の二本松市役所岩代支所の駐車場裏まで分かっていたので、周りを探索してみる事にします。 少し登って行くと小高い丘のようなところに石垣と石段、そして入口には二本の門柱があり、一本には小浜城跡と記されていました。 恐らく此処が目的の地でしょう。 石段を上がっていくと、草が生茂った広場に石碑がある程度で遺構らしきものは石垣以外何もみつかりませんでしたが、眺望するには良い所です。 [沿革]小浜城は大内氏の居城でしたが、大内定綱の代に伊達政宗に攻められ落城しました。 政宗は会津侵攻(会津の芦名氏)の拠点として、年天正13年(1585)から翌年にかけてこの城を居城にしましたが、以後は白石若狭守が城代としていました。 その後豊臣秀吉の奥州仕置きにより小浜城は蒲生氏郷(がもううじさと)に与えられ、家臣の蒲生忠佐衛門が城主となりました。 現在も城跡には忠佐衛門によって築かれた石垣が残っています。 尚、若狭(現福井県小浜市)にある同名の小浜城との関係ですが、大内氏はもともと若狭小浜の出身であったことから地名を小浜にしたそうです。
見どころ 景観
アクセス JR東北本線「二本松駅」から「小浜行き」のバスに乗り、「岩代支所(終点)」下車より徒歩約10分。 東北自動車道・二本松ICから約15分
所在地  福島県二本松市小浜字下館
銀山温泉 (山形県尾花沢市)
2017/09/18 山形県酒田市の史跡巡りも終えいよいよこの旅も帰路になります。 途中の尾花沢の銀山温泉街へ約2時間の行程、暫しの休息タイムで温泉街の古い町並みを見学です。 明治なのか大正なのかは分かりませんが、記録写真や映像等の参考資料からそれらの時代雰囲気が窺えます。 たしかに銀山温泉のキャッチフレーズに「大正ロマンの風情溢れる温泉郷」と謳っています。 パンフレットなどの写真よりイメージするより規模は小さく、実際の川沿いの温泉街は散策には最適ですが、宿泊客以外は駐車場もなく車で入って行けません。 それでも建物や雰囲気なるほど素晴らしいものがあります。 [歴史]開湯は寛永年間に、かつてこの地にあった「延山銀山」の工夫が銀山川の中に湧いている温泉を発見したことによります。 この「延山銀山」については1456年に発見され、江戸時代には幕府直轄の鉱山となって盛んに掘られ、1700年頃にはほぼ掘り尽くされ、その後起きた山崩れ等で1689年に廃鉱となっています。 「延山銀山」が閉山した後は湯治場として賑わいましたが、1913年の大洪水により温泉街は壊滅しました。 その後、地元財界の力で復興し、その時に現在の温泉街の街並みが作られました。 そして1968年11月19日、国民保養温泉地に指定されています。 [豆知識]銀山温泉は1981年のNHK朝の連続ドラマ「おしん」の舞台になった場所で、それをきっかけに全国的に有名になりました。
見どころ 四季の風物 足湯 夜景の街灯
アクセス 尾花沢市街~国道347号線(母袋街道)JR奥羽本線急行・大石田駅よりバス15分尾花沢で乗り換え40分
所在地  山形県尾花沢市大字銀山新畑421-1