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福知山城 (京都府福知山市)
天正7(1579)年、丹波を平定した明智光秀が築城したのが福知山城です。建造物は明治のはじめに取り壊され、石垣と銅門番所だけが残っていました。昭和61年に市民の瓦1枚運動などの熱意によって、三層四階の天守閣が復元されました。内部は郷土資料館として公開し、城に関する資料や福知山地方の歴史や文化財を紹介しています。また望楼からの城下の眺めは抜群です。福知山城の名になったのは江戸時代に入って朽木氏が城主になってからの事です。アクセスは福知山駅(JR山陰本線)よりバスもしくはタクシーで約8分です。所見は建物自体は復元されたものですが、小さいながらも立派な資料館として数多き品が展示されています。折角足を運ぶなら十分堪能されたほうがよいかと思います。

広島県福山市 福山城
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篠山城 大書院 (兵庫県篠山市)
徳川家康が大阪城の豊臣方との戦に備えて築いた城です。総奉行は池田輝政、縄張りは藤堂高虎が担当しました。20人もの西国大名を動員する天下普請の築城だったようです。アクセスはJR福知山線で篠山口駅を下車し、市内バスで二階町まで約20分です。小さい町ですが所々で猪鍋(牡丹鍋)をやっています。因みに牡丹鍋の由来は花札からと思っている方がいるかも知れませんが、花札の猪札は牡丹ではなく萩なので誤解のようです。誤解しやすい理由は鹿肉を紅葉とも言うのですが、これは花札の鹿札が紅葉だった事のようです。牡丹鍋屋が猪肉を牡丹の花に似せて皿に盛りつけた事から、牡丹鍋と言われるようになったそうです。お時間があればご堪能下さい。
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備中松山城 (岡山県高染市)
愛媛県の松山城と区別する為に備中松山城と言われ、高梁城(たはし城)とも呼ばれています。奈良の高取城・岐阜の岩村城と3大山城で唯一現存天守が残る堅固な城で、13世紀中頃の築かれた山城を江戸時代に小堀氏が整備し、その後水谷氏が大改修した近世城郭です。標高430mの小松山の山頂に建つ天守は日本一高所に位置します。アクセスはJR伯備線「備中高梁駅」からタクシーで約10分、頂上まで徒歩20分位です。所見は登り応えが十分あり途中の景観も素晴らしく、眼下の街並みは郡上八幡城からの眺めと類似しているかもしれません。
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鬼ノ城 (岡山県総社市)
場所は鬼城山(きじょうざん)の頂きにある古代城です。アクセスはJR吉備線で服部駅下車、徒歩は先ず無理なので駅の公衆電話に貼ってあるタクシー会社に電話して迎えに来て貰うしか手立てがありません。約10分位で総社駅から来ます。走行時間30分程度、費用が1600円位で少し割高になりますが、運転手さんのガイドもあるのでまあまあでした。時代背景からして大和朝廷が有力だそうです。見どころは、吉備平野を見下ろす標高397mに築かれた謎の古代山城です。版築で突き固められた土塁の城壁は長さ2.8qに及び、東西南北の門を巡れば結構いい運動になります。
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姫路城 (兵庫県姫路市)
世界遺産にもなっている有名な日本の代表とも言える城です。白漆喰総塗籠造の美しい姿が天空に翼を広げた白鷺を連想させることから、白鷺城とも呼ばれています。南北朝時代の貞和2年(1346)赤松貞範の築城後、赤松氏の臣の小寺氏が城主となりました。天文14年(1545)には小寺氏の臣の黒田氏が城代となり、黒田官兵衛孝高の時羽柴秀吉の播磨平定を助け城を秀吉に譲りました。秀吉の後、弟の秀長の正室北の政所の兄である木下家定と城主が替わり、さらに池田輝政が城主となりました。元和3年(1617)池田氏が転封された以後、本多、松平、榊原、酒井など、城主は替わり明治を迎えました。「不戦不燃」の城と云われ築城以来およそ400年の間戦の舞台になる事なく、また第二次世界大戦の戦火にも見舞われる事なく、現在に至っても築城当時の姿を留める奇跡の城です。今回は修復中で平成27年まで本丸のお披露目ができないそうです。残念ですが2年ほど辛抱の様です。アクセスは姫路駅から徒歩15分で城門、天守閣までさらに10分程度掛かります。所見はうーん工事中で・・・なんとも
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赤穂城 (兵庫県赤穂市)
元禄14年に起こった「元禄赤穂事件」いわゆる「忠臣蔵」の物語の舞台となった松の廊下は江戸城ですが、浅野内匠頭長矩の刃傷沙汰の知らせを筆頭家老大石内蔵助良雄が受け取ったのがこのお城でした。お城については元々簡素な陣屋でしたが、それを慶安元年(1648年)に改修し城として整備されました。軍学者の近藤正純によって甲州流・山鹿流が取り入れられ近世城郭を築き上げています。明治の廃城令で建物が破棄されていますが、昭和25年赤穂浪士討ち入りから250年という節目にあたり、大手門・大手櫓が復元されました。お城の側に大石神社があり義士の墓碑等が祀られています。アクセスは播州赤穂駅より徒歩約20分です。
竹田城 (兵庫県朝来市)
竹田城跡は天守台を中央に南千畳・北千畳・花屋敷が放射線状に配され、城の築かれていた山全体が、虎が臥せているように見えることから虎臥城(とらふす城)とも眼下に見える雲海に浮かぶ光景から天空の城とも呼ばれています。JR竹田駅から見上げると石垣の辺りは虎の背中、尾根伝いの山が首や頭にあたります。標高353.7メートルの山頂に位置する竹田城跡は、嘉吉年間(1441〜43年)に但馬の守護大名・山名宗全が基礎を築いたとされ、太田垣氏が5代にわたって城主となりましたが、織田信長の命による秀吉の但馬征伐で天正8年(1580年)に落城。最後の城主・赤松広秀が豪壮な石積みの城郭を整備したと言われます。駅の裏に登り口がありますが、かなり険しく道のり約800m登るかたちになるので、車道登り口から上がったほうが途中で脱落はしないと思います。私の場合運よく画像の様に、まさしく「天空の城」に巡り合う事が出来ました。百名城スタンプは竹田駅観光案内所にあります。尚2015/11/5に訪問した福井県大野市にある越前大野城(
下方「越前大野城」ボタン)も天守のある天空の城として知られています。
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倉敷美観区街道 (岡山県倉敷市)
倉敷川沿いに数多くたたずむ蔵屋敷、この様なたたずまいは江戸時代のに寛永19年(1642年)頃の、幕府の直轄地である天領となってから形成されていきました。直轄地となり代官支配を受けてから新田開発による農地の増加や綿花の栽培による商工業が発展し、周辺から多くの人々が集まり、備中、美作、讃岐の米、綿、油などが陸路や水路を通じて集荷搬出され一大商業地として繁栄しました。。川沿いには綿花問屋、米穀・肥料問屋などの倉庫が次々と建てられ、往事の倉敷川周辺では物資を積んだ船から荷をおろす人々や、それを運ぶ大八車の往来で大変賑わったと言われています。私時間の余裕がなくなってしまい殆ど町をすりぬけ状態での拝観になってしまい、名物の大原美術館も閉店時間の為入館出来ませんでした。画像の橋の辺りは倉敷考古館ですが、ここも訪ねる事が出来ず、十分に時間の余裕を持って行くべきでした。アクセスは倉敷駅から徒歩10分 大原美術館入場料1000円 考古館400円程度です。
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岡山城 (岡山県岡山市)
慶長1597年頃の宇喜多秀家が城主でした。恐らく豊臣政権で活躍した事で城主になれたのか、先代の直家が金光氏から奪ったとも言われています。ともあれ国盗りの世の中の事ですから、時代が移れば(関ヶ原の戦)小早川や池田が新たな城主として君臨したそうです。見ての通り黒塗りの壁から烏城とも呼ばれています。またお城と隔たった旭川の向こう側には、日本三大庭園の一つの後楽園があります。アクセスは岡山駅から市営バスも出ていますが、私はタクシーを利用し1000円弱程度でした。「同系黒色の松本城や熊本城の堅固な石垣に比べれば少し物足りないかな・・」私の独り言です。
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福山城 (広島県福山市)
福山に入封してきた徳川氏の譜代大名水野勝成が新たに築いた城です。幕府は勝成を送り込み資材の現物供与と資金支援までして、毛利氏ら西国大名の監視・防衛強化を図りました。大阪の陣から5年過た頃の事です。見どころは国の重要文化財の伏見櫓ですが、現存する最古の櫓だそうでこれは福山城の築城の際、幕府より下賜されたと言う元々京都伏見城にあった櫓で、伏見より移築された事から伏見櫓と呼ばれています。アクセスは福山駅から徒歩約1分です。
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