旭城跡 (愛知県尾張旭市)
2017/01/25年が明け、今年になってからあまり出掛けていません。決して仕事が忙しい訳ではありません。だから言って出無精でもないのですが、そう、ただ寒いだけです。今日は、晴れて暖かいので散歩がてらに尾張旭市に行くことにしました。以前から気にはしていたのですが、「尾張旭市新居町」〜「尾張旭市城山町長池下」という地名の場所に模擬城があります。自宅から約6kmと近く、大きな公園に隣接していて地元では城山公園と云われています。運悪く水曜日が休みだったので模擬城には入館できませんでしたが、一見資料館に見えます。回りは小高い山といった風で大きな池もあり、スカイワードというタワーが市民の憩いの場となっています。一応確認の為タワー内に入ることにしました。9F建てで、展望台からは名古屋の街並が眺望できて、意外な収穫を得ることができました。本題の新居城(あらい城)ですが、タワー内にあった資料によれば公園全体が城跡だったと云われています。歴史としては、1361年水野又太郎良春が築いた城です。1331年「元弘の乱」(御醍醐天皇を中心にした鎌倉幕府討幕運動)に於いて、吉野金峯山寺(よしのきんぷせんじ)僧兵団の将として戦っていましたが、「建武の新政」(1334〜1336)の頃、先祖の地である志段味(しだみ 名古屋市守山区)へ帰えりました。南北朝(1336)の戦乱期に、吉野(現在の奈良県吉野郡)に呼ばれて南朝方として戦いましたが、再び帰郷し志段味の山林や原野を開拓しました。志段味城(1361)を一族に預け、新居に居を構えて田畑を開墾し、城を築いたと言われています。現在は城山公園に変わり、曲輪、土塁などが残っています。地元の英雄とも云うべき水野又太郎良春の銅像(写真有)が城山公園から徒歩10分程の名鉄尾張旭駅バスロータリ内に建てられていましたので拝見してきました。見どころはスカイワード展望台、4重4階の模擬城、城山公園。アクセスは名鉄「名古屋駅」から「瀬戸線尾張旭駅」 まで32分。そこより徒歩約10分。
旭城(模擬城) 愛知県尾張旭市
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美濃小倉山城跡 (岐阜県美濃市)
2017/04/14の朝は、晴天に恵まれ一般に云われている行楽日和です。本日はネットで検索した岐阜県の美濃市に行くことにしました。目的はやはりお城で、つまり美濃市にある小倉山城跡です。道中の行程は高速道路を使用するので短時間で到着すると思います。長久手ICから東海北陸道を経由して終着地点美濃ICへと向います。時間にして大凡1時間で、美濃市に到着したのが午前7時ごろです。此処からは国道156線で暫し走行しているうちに小高い山の上にお城を発見しました。いや、童子になった気分か歓喜が漲るようです。お城の案内版を見つつ進入していきますと、小さい櫓が眼にはいりました。道路から見えた位置とは全く違いましたが、暫く山を登ると、ありました。そしてそれはものの見事に、期待を裏切られてしいました。なんとそこは屋根の付いた展望台で、遠くから見れば天守櫓かなと思っても不思議ではない高さだったのです。ん〜残念ですが、まあ、こんなもんでしょう。折角なので、展望台から美濃の町を眺望することにしました。美濃市は私にとって意外と近場の町ではあるものの、初めて訪れる町なので色々散策することにしました。歴史としての、小倉山城は金森長近(かなもりながちか)の隠居城として築かれた城で、別名「小倉居館」ともいわれています。金森家が無嗣断絶(むしだんぜつ、無嗣断絶とは後継ぎがない意)で改易(家、土地を没収され所謂「お家お取り潰し」の意)されたことにより、わずか6年で廃城になりました。城跡には遺構として石垣と土塁が現存しています。現在は小倉公園として整備されており、本丸には模擬櫓、さらに山頂には三階建ての展望台が建てられています。また、散策に訪れた城下街は江戸時代の歴史的景観を残したまま現存しており「うだつの上がる街並み」として重要伝統的建造物群保存地区となっています。豆知識、ここで云われている「うだつ」とは、瓦屋根が語源でうだつが上がる家は裕福で上がらない家は庶民との例えから富と貧の格差を思わせる言葉となりました。見どころは、模擬櫓、「うだつ」の上がる歴史ある街並み、上有知湊(こうずちみなと)の灯台。所在地は、岐阜県美濃市泉町1571-1。 アクセスは長良川鉄道「美濃市駅」よりバスで美濃小倉公園前まで約20分。東海北陸道美濃ICより156線で美濃小倉公園まで。
神戸城跡 (三重県鈴鹿市)
2017/05/24、亀山市の伊勢亀山城から次に尋ねる鈴鹿市にある神戸城跡(かんべ城跡)は、これまたマイナーな城跡で、所謂マニアの方が訪れる様なスポットかもしれません。ここで言うマイナーな城跡の殆どは、遊園地若しくは公共の公園でしたが、ここ神戸城跡もやはり公園でした。平日なので人が僅かしか見当りません。私としては有難いことで、ゆるりと史跡を堪能する事にしましょう。所見から云いますと野面積みの石垣が如何にも天守台がありましたよと、醸し出している風景が何とも云えません。ネットでは、大手門(顕正寺山門)、二の丸太鼓櫓(蓮花寺鐘楼)の写真が掲載されていましたが、現在、大手門は三重県四日市にある顕聖寺の山門として、また二の丸太鼓櫓は三重県鈴鹿市にある蓮花寺に移築されています。歴史の神戸城は神戸氏4代の神戸具盛(かんべとももり)が築いた城です。その後、養子にうけいれた織田信長の3男信孝(神戸信孝)によって5重6階の天守が築かれるなど、大幅な改修が行われました。この天守は桑名城に三重櫓として解体移築され、神戸櫓と呼ばれましたが現存はしていません。江戸時代には城主が度々代わり、一柳氏や石川氏が城主を務めた以降は、明治維新まで本多氏が城主となりました。
見どころ 石垣と堀
所在地 三重県鈴鹿市神戸5-10
アクセス 近鉄鈴鹿線「鈴鹿市駅」から徒歩約10分
東名阪自動車道「鈴鹿IC」から約30分
伊勢亀山城跡 (三重県亀山市)
2017/05/24、今回の訪問先は、少しマイナーな史跡を訪ねました。マイナーな史跡はそれなりに長所もある訳で、まず訪れる人が少ない、如何にも観光地的ではない、そして隠れ家的な等々が挙げられます。勿論、個人の好みではあります。所在地は取り敢えず、三重県方面と云っておきましょう。自宅から高速で約1時間ですが、行程を紹介しますと長久手ICから東名日進JCT→名古屋(名古屋第二環状自動車道)→四日市JCK(伊勢湾岸自動車道)→亀山IC(東名阪自動車道)から6分の亀山城跡に到着しました。のちに述べますが、亀山城はどちらかと言えば、現京都府亀岡市の亀山城が一般的なようですが、いずれにしても混同しやすくこの京都の亀山城を亀岡城とも呼び、これから訪問する亀山城を伊勢亀山城と区別をするようです。所在地は三重県亀山市本丸町の亀山公園内に多聞櫓と石垣があります。あくまでも史跡ですので所見から云いますと建物があるだけで感動します。しかし、一般観光地としては程遠い気がします、まぁ仕方がないか、マイナーな史跡・・・。歴史の亀山城は江戸時代における伊勢亀山藩の藩主の居城でした。慶長20年(1615)に江戸幕府が制定した一国一城令により、丹波亀山城の天守を解体するよう命じられた堀尾忠晴がまちがって、ここ伊勢亀山城の天守を取り壊してしまったという逸話があります。東海道46番目の宿場町でもあることからも、亀山城は幕府の宿所としての役割があり、上洛する徳川家康、秀忠、家光などが本丸を休泊に利用しています。寛永13年(1636)には城主となった本多俊次の手で大改修が行われ、天守を失った天守台に多聞櫓が築造されました。この多聞櫓は当時の位置のまま残る中核的城郭建築として三重県下では唯一のもので、全国的に見ても現存する多聞櫓としても貴重なものです。
見どころ 多聞櫓 桜のシーズンがお薦め
アクセス JR関西本線・亀山駅から徒歩約11分
東名阪自動車道・亀山ICから6分
桑名城跡 (三重県桑名市)
2017/05/24、神戸城の鈴鹿市をあとに、一路桑名市に向うことにしました。私事ですが、旧桑名郡長島町に実家があるのですが、殆ど訪れることなく30年以上経っています。本題に戻りまして、現在は郡部が統合されて桑名市になったことから名阪自動車道に続いて、伊勢湾岸道の長島ICが出来て非常に便利になり、桑名城跡には11時過ぎには到着しました。第一印象は大きな公園といった感じで、神戸城の様な石垣も見当たりません。敢えて言うなら、河川に佇む蟠龍櫓(ばんりゅう櫓)と本多忠勝の銅像が目立ちます。蟠龍櫓は歌川広重の「東海道五十三次・桑名」に海上交通「七里の渡し」の重要ポイントとして城が描かれています。豆知識として「蟠龍」とは、龍が天空に登り龍として飛び立つ前のうずくまっている状態の龍を指します。また、「その手はくわなの、焼き蛤」と言う言葉もあるくらい、蛤で有名な地でもあります。沿革は、永正10年(1513)に伊藤武左衛門が城館を築いたのが桑名城の起源と考えられています。関ヶ原の戦いの後、覇者となった徳川家康は慶長6年(1601)徳川四天王の本多忠勝を桑名10万石に封じました。忠勝は入封直後、揖斐川沿いに城郭の建造を開始しました。城には船着場も整備し、4重6階の天守をはじめ51基の櫓、46基の多聞櫓(兵士の宿舎)が立ち並び、また同時に城下町も整備されました。築城開始当初には四天王の一人である井伊直政も家臣を動員して普請の応援を行ったという逸話もあります。 元和3年(1617)2代忠政は播磨姫路藩に移封となり、代わって松平定勝が入城します。松平定重の時代、元禄14年(1701)には桑名市街地の過半を焼く大火に遭い、この際に天守も焼失してしまい以後再建はされませんでした。現在は九華公園として整備され、上記の蟠龍櫓も復元されて観光名所となっています。
見どころ 蟠龍櫓 本多忠勝銅像 辰巳櫓跡
所在地 三重県桑名市吉之丸
アクセス JR関西本線・桑名駅から徒歩約15分 *車 名阪自動車道・伊勢湾道 長島ICから約20分





2013/04/03 に訪問した真弓山の頂にある、足助城跡
田峯城跡 (愛知県北設楽郡)
2017/04/06花粉に悩まされる季節ながらも、本日は朝5時起です。最近またちょっと出無精になっているのですが、これはとても辛い恒例(高齢?!)の花粉アレルギー症が原因です。アレルギーを発症していない方々にはお分かり頂けないでしょうが、本当に最悪な状態なのです。つまりテッシュ・ペーパーの箱を手放せない状態なのであります。そんな中、勇気を奮い出かける事にしました。本日の訪問先は北設楽郡(北したら郡)にある田峯城跡(だみね城跡)の資料館です。自宅より足助街道を経ての行程で約2時間、殆ど高速を使わないのでグリーンロードの往復料金400円位です。道程は足助より国道420線で山道を抜けて田峯へ向います。足助と言えば2013/04/03に足助町の真弓山に頂にある足助城跡を訪ねたことがありますが、その麓を走り抜けていきます。道中生憎の雨に見舞われましたが、平日と云うことで殆ど車とすれ違うこともなく、到着は7時30分でした。開館が9時なので時間潰しに近くを少し散策することにしました。近隣に大きな駐車場を設けた田峯観音様がありましたので、お参りを兼ねての待機休憩を取ることにしました。暫し休んだ後、田峯城へ移動です。入館料金は210円也。現在の建物の所見としては、城と云うより館(砦)の様なイメージですね。時代背景は鎌倉幕府の権威が失墜したころ、建物の回りに柵を巡らした所謂砦のようなものです。 歴史としての田峯城は文明2年(1470)菅沼定信によって築かれました。その後、5代目城主菅沼定忠が、天正3年(1575)武田氏に従って長篠合戦に出陣し敗退し、武田氏と共に逃れた定忠は、飯田において天正10年(1582)に徳川に捕えられ、田峯城は従兄弟の定利が徳川の命により城主となりました。天正11年(1583)、定利が、飯田郡代となり移住後に田峯城は廃城となりました。見どころは田峯城の物見櫓から見る眺望、御殿(資料館、本丸大手門、田峯観音。アクセスはJR「豊橋駅」よりJR飯田線で「本長篠駅」下車、豊鉄バスで「田峯」下車。徒歩で約15分。名古屋(長久手)よりグリーンロードで足助経由 国道420号、そして田峯城跡まで約1時間30分。アドバイスとして、道が非常に狭いので車は小型車が最適かもです。