神奈川県小田原市 小田原城跡
小田原城 (神奈川県小田原市)
2012/12/09に東海地区のお城を回ろうと計画し、当初は静岡県の東端にあたる三島まで新幹線を使ってでも消化するつもりでしたが、資料の内容から其々の駅から遠く時間がかなり掛かると判断し、急遽変更やはり駅にもっと近い方が動き易いし、「難攻不落の巨大堅城と聞けば、行って見たくなると思いませんか?」と言う事で小田原城に向かう事にしました。小田原城は応永23年(1416)上杉禅秀(ぜんしゅう)の乱をきっかけに、小田原へ進出した大森氏によって築城されたのが始まりと云われています。1500年頃に北条氏の祖として知られる伊勢新九朗(北条早雲)が大森氏を滅ぼし小田原城へ入城します。以降氏綱、氏康、氏政、氏直によって継承され、100年近くに渡り250万石ともいわれる北条の拠点として繁栄を誇りました。この間に関東の覇権(はけん(不動の権力))を争う上杉謙信や武田信玄らに相次いで攻められますが、堅固に築かれた城は落城せず天正18年(1590)に、羽柴秀吉の大軍に攻められ開城しました。江戸時代には徳川家の譜代大名(歴代家康に仕えた家臣)である大久保氏、稲葉氏の居城となり、関東地方防衛の要所として役割を果たしました。豆知識として北条早雲の小田原城攻めについて、早雲は知略を持って成されたという説は、「大森氏の城内に勢子(せご(狩猟の手伝))を入れる許可を得て、勢子に仕立てた足軽と千頭の牛を領内に送り込み、牛に松明を付けて解き放ち混乱に乗じて大森勢を蹴散らした。」と云われています。見どころは天守、小田原城跡公園、北条早雲像。アクセスはJR東海本線(東海道新幹線)「小田原」駅から徒歩約10分
江戸城跡 (東京都千代田区)
2013/04/08「青春18切符」を使って兎に角行ける所まで行ってみようと思い、気の向くままJR名古屋駅を東に向け旅立ちです。豊橋駅まで順調に進んでいましたが、掛川方面で強風の為普通列車の運行が停止し、まさかの足止めを食らいました。悩んだ結果、普通列車が運行している駅まで東海道新幹線を利用する事にし、静岡駅まで足を延ばす事にしました。静岡からは無難に進行を再開しながら予定を考えていた所、隣の乗車客と意気投合し、お薦めのスポットを紹介してもらいましたので、JR東京駅で降りる事にしました。なにか東京駅の天井がリニューアルされたらしいのですが、ドーム状の天井が明るく教会の様にも見えましたが、以前の状態が余り記憶になかったのでよく分かりませんでした。東京駅で降りた事もあり、駅から徒歩約10分位の皇居に向かいます。言わずと知れた徳川家康の居城で今では皇居となっている江戸城です。初めて築かれたのは長禄元年(1457)で、関東管領扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎ氏)の家宰(家長の代職)太田資長(おおたすけなが、法名太田道灌(どうかん))が古河公方(こがくぼう)の足利成氏(あしかがしげうじ)に対抗する為の拠点として築きました。道灌の死後一時、曽我豊後守が城代として入りましたがさらにその後、扇谷上杉朝良(ともよし)、朝興(ともおき)が入城しました。朝興のとき北条氏綱(うじつな)の攻撃を受けて開城し、以後の城は北条氏の支城となったのです。北条氏の支城だった期間は大永4年(1524)から天正18年(1590)までの66年間で、その間に城代として太田氏、富永氏、遠山氏などが送り込まれていました。そして城は北条氏が滅亡後に入城した徳川家康によって大改修が施されます。関ヶ原の戦いを経て慶長8年(1603)に家康が征夷大将軍(せいいたいしょうぐん、朝廷より令を受けた将軍)になるに及んで、江戸城は単なる大名の居城ではなく政治や経済上の中心としての位置づけが加わり、江戸城の整備が要請されたのです。以後は各地の大名を動員しての天下普請(天下ぶしん(土木工事))が行われ、家康の代では終わらず2代秀忠(ひでただ)、3代家光(いえみつ)に引き継がれ6代将軍家宣(いえのぶ)の時に、ここに宝永7年(1710)日本最大の城が出来上がったのです。そして慶応3年(1867)15代将軍慶喜(よしのぶ)が大政奉還(将軍職を辞して政権を朝廷に返還)し、また幕府が滅亡した翌年の明治元年(1868)明治天皇が京都より遷都(へんと(都の移行))し、城名も一時東京城と改められ皇居として現在に至っています。見どころは皇居外苑、二重橋、楠正成像。アクセスはJR「東京」駅から徒歩約10分、地下鉄千代田線「大手町」駅から約5分
一乗谷城跡 (福井県福井市)
今月の6日に同じ福井県の丸岡城を訪れました。その際は突風等の強風で列車が遅延した為、仕方なく日帰りで名古屋に戻りました。2013/04/18本日改めてリベンジしに来ました。今回は金沢からの下りですが時間も十分あるので徒歩で頑張ります。福井駅から越美北線(えつみ北線)で一乗谷駅に15:08到着。いい調子です。ところが・・無人駅を降ると一面畑でTVにある将に「何これ!」の世界、周囲に何の建物もありません。そこで「これはまずい」と思い資料館に電話してみると、やはり資料館の方の話では国道18から238号線に下って徒歩30分程で復原町並という場所に着くとの事でした。とても親切に教えてくれたのですが、結果結構歩かされました。たまたま私の前を歩く二人連れに声を掛けると、同じ目的でしたので道中退屈はしませんでした。此処の正式名は一乗谷朝倉氏遺跡と云われています。朝倉氏の歴史は現在の兵庫県養父市八鹿町(やぶ市ようか町)の豪族で、南北朝時代に朝倉広景が主家の斯波高経(しばたかつね)に従って越前に入国しました。朝倉孝景の代(1467)の応仁の乱で活躍をきっかけに一乗谷に本拠を移し、斯波氏、甲斐氏を追放して越前を平定しました。以後、孝景、氏景、貞景、孝景、義景と5代103年間に亘って越前の中心地として繁栄し、またこの地に京や奈良の貴族僧侶などの文化人が下向し北陸の小京都とも呼ばれました。しかし義景は刀根坂の戦い(1573)で織田信長に敗れ朝倉氏は滅び、城下町も灰燼(跡形もない)と化しました。現在の朝倉氏遺跡は大河ドラマの誘致運動を展開しており、復原町並は塀に囲まれた重臣の屋敷が山際に並び、計画的に造られた道路に武家屋敷や庶民の町屋等がリアルに再現されています。見どころは朝倉氏遺跡、庭園、復原町並み。アクセスはJR九頭龍線「一乗谷駅」下車徒歩約30分、京福バス福井駅(東郷線)武家屋敷前30分
金沢城跡 (石川県金沢市)
七尾城跡の見学を終え、同じ七尾線で金沢に戻ります。到着した時間は午前11時近くになりましたが、かなりいいペースです。金沢駅からはタクシーで隣接している兼六園を横目にさり気なく通過しお城に入城しました。概要は加賀一向一揆の拠点で浄土真宗の寺院尾山御坊(おやまごぼう、別字御山御坊)でした。寺とは言え大坂の石山本願寺(大坂御坊)と同じく石垣を廻らした城ともよべる要塞でもありました。織田信長は一揆を攻め落とすと、跡地に金沢城を築いて佐久間盛政(もりまさ)を置きました。後に盛政は賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで羽柴秀吉により滅ぼされ、秀吉は金沢城を前田利家に与えました。利家は文禄元年(1592)から改修工事を始め、曲輪や堀の拡張し5重の天守や櫓を建て並べました。兼六園は加賀藩五代藩主前田綱紀(つなのり)が金沢城に付属して造らせた日本三大名庭園(後楽園、偕楽園)の一つです。さすがの名庭園で平日でしたが観光客でごった返ししていました。佐久間盛政と言う人物は天文23年(1554) 尾張御器所(現名古屋市昭和区御器所)に生まれ、佐久間軍記によれば身長六尺(約182Cm)とあり数値の真偽は兎も角かなりの巨漢であった様です。永禄11年(1568)の観音寺城の戦い(対六角承禎(じょうてい))で初陣し、元亀元年(1570)の越前手筒山城攻め(対朝倉義景)、野洲河原(やす河原)の戦い(対六角承禎)、天正元年(1573)の槇島城(まきしま城)の戦い(対足利義昭)等に参加し戦功を挙げました。天正3年(1575)叔父の柴田勝家が越前一国を与えられた際はその麾下に配されました。北陸の対一向一揆戦などで際立った戦功を挙げ織田信長から感状を賜り、この頃に鬼玄蕃(鬼げんば)という異名がつけられました。見どころは石川門、三十間長屋、五十間長屋。アクセスはJR西日本北陸本線「金沢駅」より北鉄バス「兼六園下」から徒歩約5分
高岡城跡 (富山県高岡市)
2013/04/17/15:15富山駅から高岡駅まで4駅目で本日最後の高岡城へ出発します。僅か4駅ですが約30分掛かりました。駅から徒歩15分と掲示板に記載されていますが、無難にタクシーを使い高岡古城公園にやや余裕をもって到着し、早速16:20に百名城スタンプ取得場所の高岡市立博物館へ行きゲットしました。後はのんびり見学するだけです。高岡城は加賀藩の礎を固めた前田利長(としなが)の居城だった富山城が火災により焼失した為、それに代わる城として慶長14年(1609)に築かれたのが高岡城です。縄張を担当したのは築城名人としてもキリシタン大名としても名高い高山右近ですが、慶長19年(1614)5月20日に利長は死去(享年53)し隠居城として使われたのはごく短期間でありました。その翌年には一国一城令により大坂夏の陣から前田利常(としつね)の凱旋を待って高岡城は廃城となりました。現在は高岡古城公園として百名城をはじめ桜百選の名所としても有名な城跡であす。前田利長は安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将で、大名として加賀藩初代藩主であり加賀藩祖である前田利家の長男(嫡男)で、母は高畠直吉(なおよし)の娘まつ(芳春院)だった人物です。また利長の正室は織田信長の娘の永姫(玉泉院)で、利勝と称し天正17年(1589)頃に利長と改名しました。若年より織田信長や豊臣秀吉の旗下で指揮官として転戦し、秀吉死後から江戸幕府成立に至る難局を苦渋の政治判断により乗り越え加賀藩の礎を築きました。見どころは公園の桜、高岡市立博物館、前田利長像。アクセスはJR北陸本線「高岡」駅より徒歩約15分、駅から加越能(かえつのう)バスで「大手門」下車徒歩約5分
富山城 (富山県富山市)
2013/04/17春日山城のロスタイムを取り返そうとJR直江津駅から特急で富山に向いました。 1時間強くらいで富山駅に到着。時間を稼ぐ為急ぎ足で無難なタクシーに駆け込み乗車し約8分で現地まで、徒歩だと約12分ですから4分稼ぐのに850円かあ・・。「うーんまあ仕方がない、そんな事よりお城へ急がないと・・」等と考えながら近くまで来ると、えっ!まさか、そう言えば本日は全国的に水曜日ですよ。休館日ですか・・・! 無念ですが取り敢えずカメラ撮影と公園内の散策しか出来ずに、勿論館内の資料入手も出来ませんでした。富山城の歴史は天文12年(1543)頃に越中東部の新川郡(かみにいかわ郡)への進出をもくろむ神保長職(じんぼうながもと)が、椎名氏の支配地であった神通川(じんづう川)東岸の安住郷に家臣の水越勝重(みずこしかつしげ)に命じて築城したとされています。その後神保氏の城を上杉謙信が攻め落としますが、援軍の織田信長が取り返し佐々成政(さっさなりまさ)が置かれました。やがて成政は豊臣秀吉に敗れて肥後に移ります。その後は明治の廃藩置県にいたるまで前田氏が支配しました。佐々成政(1536―1588)については戦国時代〜安土桃山時代(あづちももやま時代)の武将で、その生年については1539年とする説もあります。尾張国(おわり国)出身で佐々盛政の子で内蔵助(くらのすけ)とも称します。織田信長に仕えて黒母衣衆(くろほろしゅう)となり、のち柴田勝家の与力として北陸に活躍し、朝倉氏討滅や長篠(ながしの)の戦い、そして石山本願寺の一向一揆に功績をあげ、天正9年(1581)2月越中国(現在の富山県)一国を与えられ富山に在城しました。信長の死後は柴田勝家に味方しますが、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで勝家が滅亡すると織田信雄(のぶかつ)と徳川家康と結び1584年愛知県の小牧長久手(こまきながくて)の戦いでは織田と徳川陣営につき豊臣秀吉と対抗しますが翌年秀吉に降伏しました。1587年九州の役に従軍し羽柴(はしば)の姓を許され陸奥守(むつのかみ)侍従(じじゅう)に任ぜられ、同年5月肥後(熊本県)一国を領します。博多の普請を命ぜられ太閤(秀吉)検地に着手しますが、すぐ肥後国人隈部氏(くまべ氏)らの検地反対一揆にあい失政の咎(とが)を受け、翌天正16年閏(うるう)5月14日兵庫県の尼崎で切腹させられました。見どころは富山城址公園、郷土博物館、佐藤美術館。尚、休館日の確認を怠らない様にしましょう。アクセスはJR富山駅から徒歩約12分、富山ICから約10分
春日山城跡 (新潟県上越市)
新潟県もあと1件で最後になりました。高田公園からシャトルバスが出ているのでそれを使うことにしました。1時間程待っているとマイクロバスが到着し、無料料金で春日山の謙信像まで連れて行ってくれました。ちょっと得した気分でマイクロバスを降り、謙信像の前でカメラ片手にいいショットを狙っていると、後ろから声を掛ける人がいるので振り返ってみると、おもてなし隊らしき姿(謙信)の人がいるではありませんか。またしてもラッキーと思いきや、彼が言うには此処は頂上ではなくまだ先があるらしいのです。謙信像の建っている岩の後方らしい所を見つけました。遥か山頂らしき場所に建物が見え隠れいました。項垂れながらも行くしかなく、どうでしょう35分位は掛かったと思います。いままで登った山城より安易なのに、息が切れながらどうにか本丸にまで達しました。春日山城跡は越後守護上杉氏が戦時のために築いた城で関東や信濃および北陸への往来が一目で監視でき、守護代長尾氏が守護所と連繋して守っていました。春日山城は、石垣の代わりに自然の起伏を活かした空堀・土塁などによって郭を守り、天守閣を持たずして周囲の山々に砦を築いて大きな城としての機能を果たしていました。天正7年(1579)に養子の景勝に慶長3年には堀秀治に引き継がれましたが、堀氏が福島城(現在の上越市)に移ると城としての運命を終えました。春日山城は100名城に登録されておりスタンプは3月末まで埋蔵文化財センター、以降はものがたり館で取得出来ますが2館の距離が800mあり大変でした。見どころは山に登りましょう!毘沙門堂、景勝屋敷跡、上越埋蔵文化財センター、ものがたり館。アクセスはJR直江津駅からものがたり館まで循環バス利用約30分、JR春日山駅から徒歩約40分で謙信像前まで、山頂まではさらに徒歩約35分
高田城跡 (新潟県上越市)
2013/04/16には帰る予定でしたが新潟市から愛知県まで一気に帰るとなると、費用もさることながら時間的にも無駄を感じてしまい直江津で一泊する事にしました。2013/04/17仕切り直しで、先ずは桜前線真っ盛りの高田城に向かいます。直江津からJR信越本線で2駅目の高田駅に到着。駅から徒歩の観光客につられて私もつい徒歩でお城に向かいました。ところが高田城観桜会場がかなり広く、駅から30分以上掛かかってしまいました。関西弁で言うと「めちゃめちゃえらかったあ!」、でも桜が満開で素晴らしい景観です。また桜同様に高田公園からお城まで、屋台がびっしり並んで活気も満開といった程です。夜になれば夜でライトアップの中日本三大夜桜を堪能できます。私自身は夜まで堪能出来ないのが残念です。高田城について歴史は堀氏のお家取り潰しの為、家康の6男松平忠輝(ただてる)が1610年信濃川中島から福島城(現在の上越市)に入封しました。その後福島城を廃止し高田城を築城。高田藩は親藩で大藩の越前福井藩と共に加賀前田藩を丁度挟む様な形の配置となり、幕府にとって重要な位置づけとされていましたが、泰平の世が続き前田家も将軍家と縁戚を重ねる等して次第にその役割は減少しました。その後松平忠輝の改易や越後騒動など相次ぐ事件の舞台となり、幕府や諸大名にとって高田藩は負のイメージを抱かせる様になりました。そして江戸中期以降はしばしば親藩譜代大名で不始末を犯した大名の懲罰的な転封先、いわば「座敷牢」のような位置づけが強くなったのです。明治維新まで存続しましたが廃城令によって取り壊されました。見どころは高田城公園三重櫓、公園夜桜。アクセスはJR信越本線「高田駅」より徒歩約25分 
新発田城跡 (新潟県新発田市)
東北の旅も時の過ぎるのを忘れ、東北在住の旧友とは8日間もお世話になりました。いよいよお別れです。有難うございました。2016/04/16再び独り旅の始まりです。福島県JR郡山駅前から高速バスで新潟駅に向かい、JR羽越本線にて新発田(しばた)を目指します。高速バスは約2時間の行程で新潟から在来線で待機時間を考えると2時間位でお昼前後に到着予定でした。多少の時間のずれがありましたが、ほぼ予定通り新発田駅に着きました。駅から何故かバスも使わず徒歩で行った為約30分は掛かってしまいました。漸く目的地新発田城跡に着きました。新発田城は慶長3年(1598)加賀大聖寺(だいしょうじ)から越後蒲原郡(かっばら郡)に入封した初代藩主溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)が築城を開始し56年後3代藩主宣直(のぶなお)の時に完成しました。お城は天守がなく三階櫓が実質的な天守でした。また本丸が舟のような形をしていたため「舟形城」や、周囲の湿地にアヤメが咲いていたことから菖蒲城とも呼ばれていました。また縄張りを命じられた長井清佐衛門が設計に苦労しているとき一匹の狐からヒント得たと云い伝えられ狐尾曳ノ城(狐おびきの城)とも呼ばれている。この地は赤穂浪士の堀部安兵衛ゆかりの地であり、新発田市外ヶ輪(とがわ)に生誕し、父中山弥次衛門(やじえもん)も新発田城の家臣で辰巳櫓の管理責任者でした。しかし櫓の失火の責任を負って浪人となった為、息子の安兵衛は剣豪であり家名再興の為、江戸に出て高田馬場の仇討の助太刀で名を挙げました。見どころは辰巳櫓、表門、二ノ丸隅櫓、堀部安兵衛像。アクセスはJR羽越本線「新発田」駅から徒歩約25分

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画像の見方
金沢行 七尾線
七尾城跡 (石川県七尾市)
富山県から石川県へ突入ですが、時間も遅いので金沢駅に近い所で一泊します。2013/04/18早朝金沢城のお膝元ですが、先ず七尾線で七尾城跡を目指します。6:30発の普通列車で約1時間半後遅れることなく目的地の七尾駅に着きましたが、バスが停車していなかった為タクシーを利用しました。タクシーの運転手さんの話によれば城跡は百名城スタンプ取得場所の七尾城資料館から徒歩で山道を約1時間だそうです。まして誰もいない霧の掛かった山道なので「運転手さんそのまま頂上までいって下さい。」と云い少し奮発して行って貰う事にしました。足利一門の有力家臣であった畠山基国(もとくに)が能登国守護職に任ぜられたのは、今から約600年前の室町時代の初頭でした。基国は能登のほかに河内、越中、紀伊の三ヶ国の守護職を兼務しており、また室町幕府の管領の地位にも就いた大物でした。七尾城は基国の次男光慶(みつのり)が応永15年(1408)に畠山氏が治めていた四分国のうちの能登一国を割いた事が始まりで、満慶以後義隆11代の七尾城が落城する天正5年(1577)までの169年間に亘り能登を治めました。いやいやかなり高い山城でタクシーを選んで正解でした。料金は往復で5000円弱でした。まあ、時間と山道の苦労を考えると安いと思います。見どころは七尾城跡、七尾城史資料館。アクセスはJR七尾線「七尾駅」より市内循環バス「古屋敷町」(七尾城資料館近隣)まで15分。七尾城資料館から七尾城本丸跡まで徒歩往復約150分