愛媛県松山市 松山城
.
広島城 (広島県広島市)
天正17年豊臣秀吉の支配下に置かれることになった毛利輝元が、吉田郡山から本拠を移して築いたお城である。京の聚楽第を模したと考えられているそうです。写真からは、望楼型の5重5階の大天守しか分かりませんが、行くことがあれば二の丸表門や櫓群も是非観賞して頂ければと思います。因みに、関ヶ原の戦後は福島氏、浅野氏が入城しています。

.
広島 原爆ドーム (広島県広島市)>
昭和20年(1945年)8月6日一発の原子爆弾により、広島市街の建物は一瞬にして倒壊し灰燼に化しました。原子爆弾は産業奨励館の北西約160メートルの至近距離で爆裂して、爆風と熱線によって大破崩壊し天井から火を吹いて全焼しました。爆風が上方からほとんど垂直に働いたため、本館建屋の中心部は奇跡的に全倒壊を免れました。しかし当時この建物の中にいた内務省中国四国土木出張所や広島県地方木材株式会社・日本木材株式会社広島支社・広島船舶木材株式会社の職員全員が即死しました。いつしか市民の間で原爆ドームと呼ばれるようになり、亡くなられた多くの方たちを偲ぶ記念碑として、そして二度とこの様な悲惨な戦争を起こさないと言う戒めとしてユネスコの世界遺産(負の遺産として)登録されています。訪れる際は是非近くにある原爆資料館も訪問される事をお勧めいたします。
.
岩国城 (山口県岩国市)
慶長6年毛利元就の孫の吉川広家が横山の頂きに築いたお城です。しかし一国一城令を受けて廃城となりますが、麓に設けられた御土居(おどい)は明治維新まで残っていました。横山城とも云われ少し変わった本丸に南蛮造(唐造)と呼ばれる歪な天守が鎮座し、5基の櫓と3基の城門が備えられています。お城と城下町を隔てる錦川には、有名な錦帯橋と言う木造太鼓橋がかかっています。
.
岩国 錦帯橋 (山口県岩国市)
錦帯橋の歴史は 1600年 (慶長5年) に岩国の地に移封された岩国藩の初代藩主・吉川広家は1608年 (慶長13年) には蛇行した錦川に囲まれた天然の要害の地である横山の山頂に岩国城を築城しました。そしてそのに錦川に掛けられた橋は幾度も水害にみまわれましたが、中国の帰化僧に紹介された西湖の島々を結ぶ橋の絵を参考にして造られたそうです。しかし、再び延宝2年(1674年)に大洪水で流されてしまいました。再建は5ヶ月を要して造られ276年間耐え抜きましたが、1950年のキジア台風に直撃され濁流に飲み込まれました。1953年私の幼少期頃に市民の要望で再建され今日の優美な姿を漂わしてます。錦帯橋を渡り岩国城の麓の公園を散策しながら、お城まで往復するには少し時間的に余裕を持って訪れた方がよいと思います。錦帯橋の下の河原にも降りれます。
.
高松城 (香川県高松市)
天正16年豊臣秀吉の四国平定後、瀬戸内を睨む屈指の海城として生駒親正に基礎を固めさせました。後に松平頼重・頼常親子が大改修を行い近世城郭として完成させました。別名を玉藻城とも呼ばれ、これは柿本人麻呂が讃岐の枕詞に「玉藻よし」と呼んだことに因み、また周辺の海が玉藻の浦と呼ばれていたためと言われています。
.
丸亀城 (香川県丸亀市)
香川県の高石垣と小さな天守で有名な城です。生駒氏、山崎氏、京極氏と慶長2年〜寛永20年の歳月の中で、現存天守は京極氏が造ったものです。京極氏は、江戸時代前期の大名で播磨瀧野藩から讃岐丸亀藩城主としての3代目であり、先代の甥なのか側室の子なのかは定かでない様です。。まあそう言う事はこの時代には良くあった事なのかもしれません。。
.
今治城 (愛媛県今治市)
慶長7年関ヶ原の合戦での戦功として伊予を得た藤堂高虎は、瀬戸内の覇権を狙うとともに旧豊臣方の動向を監視する為、海陸の要地(今治浦)に城を築城しました。別名を海沿いの城という意味で吹揚城(ふきあげ城)とか、美しい砂浜から美須賀城(みすか城)ともいわれ平城で容易に場内が見透かされたからかもしれません。アクセスは今治駅から市内バスかタクシーを利用します。城全体の城壁を四方から観賞することができ、また藤堂高虎の銅像も見どころの一つです。
大州城 (愛媛県喜多郡)
城の起源となるのは鎌倉時代末期に宇都宮豊房が築いたとされる中世城郭で文禄4年に藤堂高虎が大改修し近世城郭へと生まれ変わった。のちに脇坂安治が入城して新たな改修が加えられており、天守など整備されたようだ。伊予大洲駅から徒歩20分です、途中国道56線に架かる肱川橋からの景観は、撮影に使えるような凛々しさを憶える。明治21年老朽化が進み危険なため解体され、平成18年に木造で復元されている。
.
松山城 (愛媛県松山市)
加藤嘉明が築城を開始したことから始まり、蒲生忠知を経て25年後の松平氏の時代になってから完成したそうです。戦う覚悟を強調するような城であり、不屈さが全面にでているように思われます。場所は松山駅から市電 (150円)で約10分、そして大街道を下車です。ロープウエイで約2分山頂手前に到着、後は徒歩で約10分位、日曜祭日はかなり混雑します。お城自体が市内の真ん中に位置しているので買い物など重宝かもしれません。
.
松山城 加藤嘉明像 (愛媛県松山市)
関ヶ原の戦で戦功をあげたことで、伊予20万石に封じられたそうです。松前からの移転ですから、さぞ嬉しかったでしょうね。築城に関しては完成を待たず会津に転封し、約25年近く城主を務めた形になります。もともと流浪の身から木下藤吉郎に見出され、賤ヶ岳の戦いで七本槍の一人として頭角を現し、秀吉の朝鮮出兵にも参戦して功をあげています。
4
HOME
2
3
1
4
2
3
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
1
画像の見方