鏡石田圃アート (福島県岩瀬郡)
2017/09/16 東堂山満福寺の羅漢さんを後にし、友人より「田んぼアートを見た事があるか」と聞かれ、鏡石町にある田んぼアートを見に行くことにしました。 田んぼアートは田んぼをキャンバスに見立て、色の異なる稲を植えることで巨大な絵や文字を描いた田んぼの事です。 大規模なものの多くは斜め上から見る前提で図案を歪曲設計し、これに基づいて遠近を考慮して植えられます。 1993年に青森県南津軽郡田舎館村(いなかだて村)で村興しの一つとして、田舎館村役場裏手の田んぼで創められ、2010年以降になるとこれが日本全国にまで広まり、現在は「全国田んぼアートサミット」も開催されているようです。 今回、お世話になっている友人宅の福島県にもあると言う事で見学に行って来ました。 ネットやTVで観ることがあっても、なかなか実際に見るチャンスがなくラッキーです。 満福寺から車で25分、時刻も15時を少し過ぎた程度で明るさも上々、観覧するには最高な状態と条件揃いです。 観覧場所は田んぼに隣接する図書館の4階展望室を見学者に開放しています。 いよいよ田んぼアートとご対面とも云うべき瞬間です。 まさに何これの世界です。作品は「一寸法師」で感動の一言! 平成24年から始まった鏡石町の田んぼアートは歴史も浅く規模もそれ程大きくはありませんが、鏡石町のコンセプトでもある「窓から眺める絵本・もう一つの図書館」として、今後も童謡、童話、唱歌をテーマに頑張って良い作品を期待しています。
見どころ 田んぼアート
アクセス JR鏡石駅から(JR鏡石駅の隣接地域) 鏡石スマートICから車で5分
所在地 福島県岩瀬郡鏡石町旭町440-6
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長岡城 (新潟県長岡市)
2017/09/14 長野県の善光寺を後に更に北上して次の訪問先、新潟県の長岡市にある長岡城に向います。 そこで、日本海を北上する北陸自動車道を避けて、上越自動車道の「須坂長野東IC」から「豊田飯山IC」間を利用した後、千曲川沿いに走る国道117号線で中抜きコースを取り、11時には長岡市に到着しました。 時間的にはまずまずです。 これで、高速代3,570円削減です。 長岡城は現在のJR長岡駅付近を本丸とする平城で、「兜城」や「浮島城」と呼ばれていました。 慶応4年の北越戊辰戦争で焼失し廃城となり、昔の面影を偲ばせるものはありません。 しかし長岡市は昭和43年に「蒼柴の森」(あおしの森)につつまれた悠久山公園の高台に模擬城として郷土史料館を建設しました。 平成4年には、郷土出身の先人顕彰の展示を開設し、人物を通して長岡の歴史文化を紹介しています。 長岡城の歴史は慶長10年(1605)堀直寄によって築城がはじめられましたが、完成したのは元和4年(1618)越後国長峰から入封した牧野忠成によるものです。 寛永11年(1634)忠成の二男康成に一万石を分封して与板藩(よいた藩)を立藩させ、以後代々牧野氏が続きました。 慶応4年(1868)に戊辰戦争が起こり、家老河井継之助(かわいつぎのすけ)はガトリング砲(銃口が複数ある回転式の機関銃)二門など大量の武器弾薬を購入して帰藩し、5月2日小千谷に陣を張った新政府軍の岩村精一郎と最後の談判が行われましたが交渉は決裂し開戦となりました。
見どころ 「郷土史料館」(山本五十六提督、河井継之助、小林虎三郎の足跡)「悠久山公園」
アクセス 「悠久山公園」までは、「JR長岡駅」から「悠久山行き」バスで約15分、バス停より徒歩約18分。「関越自動車道」の「長岡IC」から約15分
所在地 新潟県長岡市御山町80番地24 悠久山公園内
羅漢像の立ち並ぶ東堂山満福寺 福島県田村郡小野町
高屋敷稲荷 (福島県郡山市)
2017/09/15 本日最後の訪問先となったのは棚倉町から友人宅へ帰る途中にたまたま見つけた、ちょっと変わった稲荷神社です。 地元の人にとっては、珍しくもない光景なのでしょうが、少しサプライズだったので紹介させて頂きます。 「高屋敷稲荷神社」の境内までの参道には数多い朱色の鳥居が連なっている独特な景観があります。 歴史は、宝永年間(1704〜1711)の飢饉の際に、年貢を免除してもらったことに感激して、正徳3年(1713)に建立されました。 「享保」「明和」「天明」の飢饉を経て、信仰者が増えたようです。 現在の社殿は大正15年(1926年)10月の建立です。
見どころ 社殿までの朱色鳥居群 放し飼い烏(う)骨(こっ)鶏(けい)
アクセス JR東日本東北新幹線「郡山駅」から磐越東線「舞木駅」(もうぎえき)下車後、タクシーで約5分。東北道「郡山IC」より約40分
所在地 福島県郡山市白岩町字高屋敷290
杉沢の大杉 (福島県二本松市)
2017/09/16 本日最初の訪問先は、友人宅より20分ぐらいの処にある杉沢の大杉を見学して来ました。 土曜日にしては観覧者もなく、ゆっくりゆったりと訪問する事ができました。 高さ約45m、幹の太さは10mを超える巨大な一本杉です。あの樹齢千年以上の屋久杉より大きいともいわれ、これだけの巨木で樹勢が旺盛なスギは全国でもあまり例がないようです。 しかし、それも現在はやや低くなっているとも云われています。(※諸説あり) 歴史は、江戸時代初期の寛永20年(1643)のこと。 二本松藩主丹羽光重(にわみつしげ)が領内を巡視した際、この大杉に目をひかれ、そこで光重はこの土地を「杉沢」と改称させ、スギの名を「杉沢の大杉」としたといいます。 であればこそ、この大杉にはカタカナ名書きは似合わないですね。 また杉の妖精が娘となって現れた伝説もあるようです。
見どころ 四季折々の色彩&大杉
アクセス 東北自動車道「二本松I.C」から車で約35分。 磐越自動車道「船引三春I.C」から車で約25分
所在地 福島県二本松市杉沢字平
東堂山満福寺 (福島県田村郡)
2017/09/16 NEXT訪問先はちょっと変わった石仏群が大量発生しているお寺です。 時刻は13時過ぎ、まだ日が高く明るい状態ですが境内は鬱蒼と茂った木々や、静寂に包まれた雰囲気の中、いきなり珍石仏のお出迎えで幕が開きました。 本堂までの石段には鐘楼や摩訶不思議な羅漢さんが右往左往していて、唯目を見張るばかりです。中腹には巨岩を背に本堂が佇み、その裏側にはびっしりと石仏群そして石壁に彫刻された仏画が参拝客を睥睨(へいげい)しているように見えます。 私たち善人者には笑顔に見えますが、そうで無い方にはご用心かもしれません。 ネットではカオスな羅漢と紹介されていますが、カオスとはギリシャ神話の原初神で、有限の世界が生まれる前の神で混沌とした状態(時代)から生み出された事を意味している為、色々な顔や風体の羅漢像を然うしてその様に紹介されたものだと思います。 この満福寺は、標高659mの東堂山の中腹に建つお寺です。 史跡名勝天然記念物に指定された杉並木の表参道を抜けると、巨大な自然石の上に建つ東堂山鐘楼にたどり着きます。 近世木造建築の粋を集めた小野町のシンボル的存在で、境内の奥には450体以上の個性あふれる羅漢像が奉安されております。
見どころ 本堂 昭和羅漢石仏
アクセス JR東日本磐越東線・小野新町駅から車で20分
所在地 福島県田村郡小野町小戸神字日向128
棚倉城跡 (福島県石川郡)
2017/09/15 浅川町から然程離れていない棚倉町にある棚倉城跡が本日のメインということになりますが、到着時間は正午過ぎなりました。 城跡はお堀のある公園ですが、県立(昭和23年編入)公園として指定されています。 周辺は堀と土塁に囲まれた敷地に樹木が四季を彩り、イベントを催す場所としては格好なスペースです。 そのほか城跡の大欅は福島県指定天然記念物に指定されています。 沿革は、元和元年(1622)常陸国古渡より棚倉に移封された丹羽長重は、幕府より築城の命を受け寛永元年(1624)、近津明神(都々古別神社)を馬場の地に遷宮し、翌2年、その跡地に棚倉城の築城に着手し、寛永4年(1627)に完成しました。 慶応4年(1868)戊辰戦争で落城するまでの240余年間8家16代の城主交代があり、お堀に住む大亀が水面に浮かぶと決まってお殿様が転封されたということから、別名「亀ケ城」ともいわれています。 土塁の上には南北朝時代の板碑や棚倉城規模碑、畑俊六(はたしゅんろく)元帥終焉の碑などがあります。 また、西側外堀跡には約160mにわたる石垣が残っています。
見どころ 春の桜(4月頃〜5月つつじ)十万石棚倉城祭り(4月)秋の紅葉
アクセス JR水郡線「磐城棚倉駅」から徒歩約10分 東北自動車道「須賀川IC」より118号線で約50分
所在地 福島県東白川郡棚倉町大字棚倉字城跡
浅川城跡 (福島県石川郡)
2017/09/15 本日より福島県在住の友人宅でお世話になりながら、新たな出合いを見つけにいきます。 朝食をやや遅めに取り、目指すは友人が以前からゴルフの通り道にしている街道沿いに気になる標識があるということで、石川郡浅川町方面に向かう事にしました。 JR水郡線沿いに走る国道118号線を南下する事約40分、あまり目に留まらないような「城山公園方面」の言う小さな標識です。 118号線から標識方面に狭い山道を登る事約5分、公園らしき城跡といってもよく分かりません。 紹介版には「青葉城」と記されています。 沿革の「浅川城」は文治5年に源頼朝の奥州藤原氏征伐に戦功をあげた浅利義成が秋田比内を与えられ、その子知義がこの浅川の地を与えられ、浅川氏代々の居城となりました。 戦国時代の永禄12年から天正17年にかけて数度の合戦が行われ、何れも赤館攻略のため結城氏や佐竹氏が攻めた戦です。
見どころ 山頂からは、安達太良山、那須連峰、八溝山系の美しい山並みが一望できます。
アクセス JR水郡線「磐城浅川駅」より徒歩約10分(登城口)
東北道「須賀川IC」より国道4号線と国道118号線を経由し約40分
所在地 福島県石川郡浅川町大字浅川字城山58
稲庭城 (秋田県湯沢市)
2017/09/17 今日から場所を秋田県に移し、新たな発見を求めて出発です。 時刻は午前9時、朝食をコンビニで簡単に済ませ、東北自動車道を福島県より北上し宮城県の「古川IC」経由で秋田県湯沢市方面を目指します。 目的地の稲庭城には正午過ぎに到着です。 登城はスロープカー(ケーブルカー)を利用して登りますが、あまりの急勾配に肝を冷やしながら、漸く頂上に着きました。 城は三層四階建ての模擬城兼資料館ですが、29年の歳月が経っているにも関わらず妙に新鮮な建物です。 歴史は、鎌倉時代初期に小野寺氏が初めて築城しました。 室町末期に沼館城に移るまで本拠とし、いわば小野寺氏創業の城です。 その後小野寺氏は横手城に移り、稲庭城はその支城となりますが、戦国期に横手盆地に侵攻してきた山形の最上勢に攻められて落城しました。 城内には郭跡、堀切、櫓台跡などが残っています。 城跡の詳細についてはスロープカーを使わず登山道をお薦めします。 また訪れる方には是非一度は味わって貰いたいのは、稲庭うどんです。 何故ならば、ここは稲庭うどん発祥の地なのです。
見どころ 模擬櫓資料館 スロープカー
アクセス JR奥羽本線「湯沢駅」から羽後交通「小安温泉行き」バスで約30分、「下早坂」。 湯沢横手道路「湯沢IC」より約25分
所在地 秋田県湯沢市稲庭町字古舘前平50
横手城 (秋田県横手市)
2017/09/17 湯沢市では稲庭城と稲庭うどんを堪能したあと、暫しドライブを楽しみながら、次の訪問先横手城を目指します。約1時間足らずの秋深まる車窓からの景観でしたが、目的地の横手城に到着です。 お城は山城ですが、ほぼ頂上まで車で登ることが出来、無料駐車場も完備しています。 [沿革] 横手城は三重四階建の模擬城で城内はやはり史料館として活用されています。 横手城の築城時期は諸説あり、戦国時代には小野寺氏配下の「横手氏」「大和田氏」「金沢氏」が横手城を拠点にして抵抗していましたが、これは鎮圧され小野寺氏は横手に本拠を移しました。 関原の戦い以降は佐竹氏の一族である戸村氏が城代となっていた城です。 佐竹義宣が幕府に働きかけたことにより、一国一城令の例外として破却をまぬがれた城としても知られています。 現在は横手公園として整備されており、模擬天守(横手城展望台)が建てられています。 本多正純の墓碑も建てられています。 「グルメ情報」周辺にはB級グルメとして有名な横手やきそばの店がたくさんあります。 「豆知識」本多正純の墓碑とは元和8年(1622)当時江戸幕府年寄で下野宇都宮藩主であった本多正純が「宇都宮城釣天井事件」でこの地に流罪にされ、寛永14年3月10日(1637年4月5日)にひっそりと亡くなるまでこの横手城で過ごしました。 「概要」釣天井事件とは、第2代将軍徳川秀忠が家康の七回忌に日光東照宮に赴く際、宿泊地であった宇都宮城に吊り天井を仕掛け、秀忠の暗殺を企むなどの嫌疑です。 実際は釣り天井など無かったようです。
見どころ 天守の展望 史料館 冬季まつり
アクセス JR奥羽本線「横手駅」から徒歩30分 秋田自動車道「横手IC」より約15分
所在地 秋田県横手市城山町29-1